女性蔑視問題、日本はなぜ遅れていると言われるのか?

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今日のYahooニュースでこんなニュースがありました。

リオ五輪でプロポーズが大流行 「ロマンチック」か「女性蔑視」か

五輪でのプロポーズが「ロマンチック」といわれる一方で、少数意見として「女性の表彰の舞台でプロポーズをすることは、女性が手にした栄冠を下げる」として女性蔑視だとする意見もあるようです。

これはあまりに偏り過ぎな意見な気がしますが…。

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日本は女性蔑視?

近年、女性の社会進出が進んできていますが、未だにこうした女性蔑視の声は国内外から聞こえてきます。

例えば、数年前にあった「女性は生む機械」発言や、東京都議会でのセクハラまがいのヤジなどがそうですね。

こういうのはレディ・ファーストな文化を持つ欧米では完全アウトな発言ですし、結局この政治家達は日本でもコテンパンにされています。

最近問題になる女性蔑視は、以前のようにセクハラなど明らかにアウトな差別的行動や女性の社会進出を拒むような差別的政策などから、段々「女性の気持ちを考えない発言」に変わってきているようです。

これは女性によっても差別を感じる・感じないがあるようですし、線引きが難しい問題ですが、結局問題の本質は「どこまで人の生き方を許容できるか?」という点なのかなと思います。

女性においてこの許容量が多い欧米に比べ、日本が女性蔑視と言われるのは仕方がない部分もあります。

人の生き方をどこまで認められるか?

人は自分の常識を外れた行動をする人を嫌います。

そういう人を見るとついつい攻撃的になってしまうんですね。

戦後日本の高度経済成長期は「夫が外で働き、妻が家を守る」という生活が一般的と言われてきました。

そのため当時は、25歳以上で会社に残っている女性を「売れ残り」「お局」などと呼びヒソヒソ陰口を言われていました。

一般的でない女に対し、多くの人が否定的・攻撃的になっていたんですね。

ですが、そういった人が徐々に増え一般化していった結果、今ではバリバリ働く生き方は多くの人の常識となっています。

女性の生き方が新たに1つ社会的に認められたのです。

そして今女性蔑視と問題となっているのは、主に結婚したくない女性や、子どもを産みたくない(産めない)女性についての攻撃です。

今後は、こうした生き方についても当たり前のことにしていく必要があるのではないでしょうか?

一方で、こうした攻撃は女性だけではありません。

結婚していないと出世できない、主夫になると白い目で見られるなど、男性側の生き方にも様々な常識の枷がはめられています。

男性側の問題はなかなか表に出にくいですが、どちらも問題の本質は同じ。

結局はいかに社会の器を大きくし多様な生き方を認めるか、ということだと思います。

日本は「出る杭は打たれる」のことわざ通り、目立つ人を攻撃する傾向があるので、まずはそこを何とか改善していく必要があるのではないでしょうか。